非常識の言語化

今回は非常識の言語化という話をさせていただきます。

普段過ごしていると、非常識な方に出くわす機会があるかと思います。今だと商品が枯渇するというデマを流す人や、それを利用し転売を行う人、疲弊している薬局職員に無意味なクレームを言う人などでしょうか。

そういう学生がいるくらいなら後々覚えていくでしょうし問題はないかなと思うのですが、結構年配の方に多いというように感じております。

これに関して私が違和感を感じたことは、果たして非常識な人は最初からそうだったのであろうかという点です。おそらくそうではないのではないかと思います。わかりきっている話として、現代はVUCAの時代と呼ばれるように、未来の予測が困難且つ高速で変化になっています。例えばひと昔前なら教育の一環だった体罰も今では一発アウト行為となりました。

私の考えとしては、非常識な年配者とは性悪説的に初めからそうだったのではなく、常識の変化の速さに適応できなくなった結果、常識のアップデートが自覚なくストップしてしまい振り落とされてしまった方なのではないかと思います。

ただ老いとは誰の身にも起こることなので、みないずれは非常識になるという事になります。これが仕事に巻き込むようだとかなり厄介で、日本の社会構造的には自分の感性が世の中とはズレてしまった時に決裁者になってしまうので、社会にはズレたものが生み出され続けてしまします。

何よりこの状態に本人は気づけず、そのころには最年長に近くなっているため誰からも本当のことを伝えてもらえない状態になりやすいことが恐ろしいかと思います。
そのため需要の全盛期でいられる時に重要なことは、全盛期を維持するだけではなく、自分の持っている仕事などを誰かに譲る癖をつけておく必要があるのではないでしょうか。

結論としては以前と同様になってしまいましたが、ここで重要なことは常識は変わらないという常識をまず捨てるマインドを持つことが第一歩だと思います。
https://www.mine-think.com/?p=70

今回は以上となります。

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