問いかけが求めるものは正解か判断か決断か

今回は問いかけが求められているものは正解か判断か決断かという話をさせていただきます。

人生の中で人から問いかけをされることはよくあるかと思いますが、基本的にそれはタイトルで挙げた3つのうちのどれかを求めた問いとなっております。

正解というは簡単で、完全に一つに定まった回答があるという状況です。学校で先生に問いかけられる時や仕事で先輩が問いかけるときなど、問いかける側が答えを持っているのでこれはちゃんと学習しているかの確認作業としての意味で行われます。

判断というのは回答は一つに定まっていない状況です。軽いところだと肉料理か魚料理どちらにする?もそうですし、社会人で営業をやっている人の例だと今回の提案はどういうシナリオで進めるかなどというように、いくつかの選択肢のうちどれを選びますかなどの問いかけです。人によって持っている回答は違いますが、少なくとも問いかける側の人間は自分の中での回答を一つに定めているとは思います。

判断を求められた私たちが注意しなければいけないのは、相手の中にある回答を探って迷うような、所謂正解を求められた時のアプローチをことはしてはいけないという事です。判断を迫る相手が求めている回答は自身へのご機嫌伺いではなく、いくつかある選択肢それぞれのメリットを考慮できており、その中で自身の価値尺度に基づいて今回のケースの回答を一つに定めているという過程を含めたものだからですね。つまり判断を求められた際は情報を集める必要があるという事です。

以上からわかるように判断の特徴は人によって回答は違うが、メリットデメリットが可視化されているため、個々人がそれぞれ回答を一つに定めることができることにあります。
これに対してメリットデメリットの可視化すらもできない状態で回答を求める状況というものが、決断を求めているケースにあたります。これに関してはメリットデメリットが可視化できない以上、相手の中に根拠に基づく回答はありません。自分には決断できない時に人にそれを迫っているというケースか、あるいは自分の決断と一致するものがいないかの確認での問いかけが殆どかと思います。

決断において注意すべきことは、まず判断同様誰も正解は持っていないので正解を追ってはいけないのは勿論の事、決断においてはメリットデメリットを探れないため調べるという行為は基本的に無駄骨になりやすいです。

現代のグーグルで誰でも即座にカンニングが可能な世界において人間が自分自身の頭だけを使い考えることは基本的にほぼないのですが、こと決断に限っては自分の頭をフル稼働させ、無い情報から一つの決断をしなければいけません。頭を使って何を整理する必要があるかというと、一つは問題文の設定が適切かどうかで、もう一つは考慮している選択肢に抜け漏れや蛇足はないかです。上記の前提がある状態で決断をしたときに初めて決断の正誤に繋がってきます。

問いかけを受けるという状況は基本的に予測していることではないのでその瞬間焦って答えるか答えに窮してしまう事はよくあるかと思いますが、まずは相手が正解・判断・決断のいずれを求めているかをくみ取ることから始めれば、普段以上に適当な回答ができるようになるのではないでしょうか。

今回は以上となります。

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