若き老害にならないために

少子高齢化が始まってからでしょうか、老害という言葉が使われるようになりましたよね。これ、文字面が悪すぎて世代間の敵対のような構図になってしまうため表で基本使えない言葉なのですが、今回は老害とは年の話ではないというテーマでお話していきます。

そもそも老害とは何が老いて誰に害をなす行為なのでしょうか。
私はこれを「変わる力」が衰え、その故に現在にしがみつき、「変わろうとする個人、世界に対して」害をなすことと解釈しています。変わる力とは変化できるかどうかではなく、変化しようとする意思です。意思を失い止まるまでは良いですが、変わろうとする人を止めようとする、流れを止めようとするとき初めて老害が完成するという事ですね。

この定義でわかるかと思うのですが、老害には10代でも20代でもなりうることになります。私の例でいえばYoutubeの広告でTik Tokが流れまくっていた時期、あまりにも多かったので私は知ることもなく毛嫌いしておりましたが、あの時の私は紛れもなく老害でしたね。これに気づいてTik Tokをインストールし触ってみたことがありますが、流行る理由はわかりました。(機会があれば記事にします。)

さてここで老いの話に立ち戻るのですが、当たり前のこととして人間の能力の老いは必ずくるので、自分の価値観と能力のアップデートは何処かで必ず停滞することになります。特に顕著なのが価値観、私はよく需要の全盛期という言い方をしますが、自分が社会に必要だと思うものが、社会の需要に完全にハマっている状態は長くはもたないので、知らず知らずのうちに自分の必要は社会とズレていきます。

これは最新ではない自分が携わるよりも、最新の誰かに譲った方がいい瞬間が何処かで必ず訪れるということですが、例えば会社など特定の人としかかかわらないコミュニティのみに所属していると 、そのズレに気づくことなく正しいと感じたまま生きていくことになります。
社会の需要を満たす意見を理解しようとせず感情で否定した時が老害化が始まります。始まりからたどれば特定コミュニティのみに所属するような生活環境が定着した20代などがきっかけだったりするので、恐ろしい話ですね。

これを踏まえて気を付けなければいけないことは、 譲れる身体を準備することだと思います。 具体的には自分の価値観と能力が通用している時期にこの力をどう長く維持するかではなく、力が落ちたときのことを考え自分の作品への関与の仕方をどう変えるよう準備するかであり、裏方に回れる癖をつけるという事ですね。
需要の全盛期が終わりを迎えてから衰えを察して譲るというのは非常に難しい事であるため、まだ譲らなくていいときに譲る癖をつけて準備をする必要があるのかもしれません。

コメント

  1. […] 今回はTik Tokのデザイン設計という話をさせていただきます。以前の記事でちょっと話しておりましたね。 https://www.mine-think.com/?p=70 […]

  2. […] 結論としては以前と同様になってしまいましたが、ここで重要なことは常識は変わらないという常識をまず捨てるマインドを持つことが第一歩だと思います。 https://www.mine-think.com/?p=70 […]

タイトルとURLをコピーしました