ストーリー価値が重要視される理由

さて、今回はストーリー価値が重要視される理由について語っていきます。
これを語るうえで前提となることは、承認欲求、SNSによるシェア、技術のコモディティ化による機能価値の下落です。

承認欲求に関してはマズローの欲求5段階説が正しいことを前提とした話になります。
https://ferret-plus.com/5369
上記に関しては学術的な根拠が薄い推論に過ぎないとは言われておりますが、わたくしの価値観としては正しいと感じられるものに根拠を掘り進めるための時間を割く必要はないかと思います。根拠を持って証明されていないことは、間違いを示す材料にはなりえませんので。(間違いとするロジックを持って否定されれば別です。)

話を戻しますが、マズローの5段階欲求に当てはめるとすれば、原始時代が生理的欲求、発展途上国の時代が安全欲求、新興国時代が社会的欲求という形でしょうか。社会的欲求の帰属意識の対象は、かつては会社や家族が主でした。社会的欲求とはある一部のコミュニティの中で、その一員であるという実感が持てることに当たります。

そして現在の欲求段階とされているものが承認欲求です。社会的欲求のように会社の中で、家族の中で認められたいではなく、あらゆる意味で個人として他者から認められたい、あるいは価値を感じる自分自身でいたい(自己承認)などです。

この承認欲求との相性が水魚の交わりのようによかったものがSNSでした。というよりも、Facebook,Googleは承認欲求を前提に、それを満たせるツールに寄せたのかもしれません。これまで趣味や日記、あるいは落書きなど、自分の手元から離れることが一切ない自己満足でしかなかった自分の写真や意見が、他者に見られる、意見を交わせる、良いと思われる、シェアされる世界が誕生しました。


ちょっと話がずれますが、承認とは賛成されることではなく、ちゃんと見てもらえることで満たせる欲求だったりします。いいかげんな肯定よりもよく観察しているが故の否定の方が言われた人間は承認を実感できます。
人に見られていることをSNSを利用することで実感した人間はどうするでしょうか。より承認欲求を満たせるように、自分の一番良い姿を見せることで、他者から羨ましいと思われるような自分の人格や一日を形成していくようになります

例えば自撮りの自分をよりかわいく見えるようにしたり、撮った風景をよりよく見えるよう過去したり、エピソードしてディズニーランドに友達と行きましたと言ったり、叙々苑で食事をしました。だったり…。
最初はこれでよかったんですが、SNSを含むインターネットは、承認と同時に、技術のコモディティ化(一般化)を世の中に起こしました。あらゆる技術、ノウハウがインターネットに投稿され、それらは誰でも検索ができるようになりました。これによりさらに、技術の発信者が専門家ではなく一般人でも発信ができるようになり、情報の受け皿が広がったためにさらに浸透するようになりました。

技術がコモディティ化されるという事は、世の中のモノのクオリティの下限が引き上げられることを意味します。絶望的においしくない飲食店がなくなったり、個人開発のソフトやゲームができることとしては企業と遜色なく使えるものになったりですね。
このようになると、美味しいこと、面白いことは当たり前になってくるので、そういった機能面での自慢は圧倒的な1番を享受したときにしか承認欲求を満たす発信としては弱くなってしまいます。

機能での差別化ができなくなった今、ここで白羽の矢が立つのがストーリー価値です。人間の物語というものは当然人間の数だけあり、物語は模倣できないため、このストーリーが乗ったイベントに参加したりモノを買うと、たとえ他者に機能として負けていてもそのイベントに意味があれば、そこでの体験は他のだれかが味わえないその場だけの体験となり、承認欲求を満たす行為につながるという事ですね。

機能での差別化ではなく自身のストーリー、作ったモノのストーリー、ここをデザインしたものだけが価値を生み出し、シェアを促せるというのは難しくもあり、面白くもありますね。機能というスタートラインを全員が知ることができて、自分の物語を駆使し、相手の欲しいをかなえることで誰もが勝負できるというのは平等ともいえるかもしれません。

コメント

  1. […] ただこれが長続きするやり方かというと、そうとは言えません。以前ストーリー需要という話をさせていただいたかと思いますが、ストーリーの観点でいえば、ピンチがなくて負けることが無い物語は面白くありません。 https://www.mine-think.com/?p=29 […]

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