知らないの再定義

ひとつ前の投稿が機能公開したつもりだったのに、下書きで保存のままであったため前日の投稿に穴があいたことに若干凹んでおります。本日投稿2つという事でご容赦願います。
さて今回は「知らない」という言葉の解釈の再定義というお話です。

皆さんの感覚として、知らない、わからないという言葉にはどのような印象を受けるでしょうか。結構恥ずかしい事、悪い事として捉えている方が多いのではないでしょうか。学校教育が記憶力を求めるような内容が多い現状を考えると、おそらく 知らない=勉強不足 という観点でとらえることとなり、悪い事と認識するのでしょう。

ただ大学のプレゼンテーションやレポート、やPCを前提とした仕事を行っている方ならわかるかと思いますが、大学やPC業務ってgoogleなどを利用して行うんですよね。今日の時点で知らない分野や技術に関して、所謂カンニングありきで学習や業務を進めるわけです。つまりAについて知っていることが強みになるのは、知らなかった人がAについて調べるまでの短い間という事ですね。

また老化をしたら記憶力が衰え認知症などになるというお話がありますが、これは人生経験が豊かになったことで物事ほとんどが想定内になってしまい、感情が動くような機会が失われたからだと思われます。まだ確固たる正式な研究成果にはなっていない話ではありますが、ゲームが認知症予防予防に効果があるのではという話が上がっていたりしますので、これは未知の体験に感情が動くからだと考えられますね。
https://www.esquire.com/jp/lifestyle/tech/a182700/lifestyle-tech-supermario17-1212/

上記の例のように、人間の感情が動くのは想定していないものを初めて知った時です。という事は、知らない事の数だけ人生に感動が隠れているという事になります。知らないことがあるということはまだまだ人生を楽しめる余地があるという事なので、物凄く喜ばしい事なんですよね。

逆に知らないことを恥ずべきことだとする悪い面として、恥ずかしいから身に着けようとするならいいのですが、知らないものを避けようという思考に発展してしまう可能性が多分にある点が挙げられます。
全知全能な存在などこの世にいないので、自分以外の人間が何をやっているか、何を言っているかがわからない存在に出会う日は訪れます。この時人がどうなるかというと、前ブログで触れた「知らないと嫌いは結び付きやすい」という現象を助長させることになってしまいます。知らないことが恥ずべきという前提のせいで、知らない恥を避けるために嫌悪に変換して自尊心を維持するというメカニズムですね。
https://www.mine-think.com/?p=32

知らないことを悪いこと恥ずかしいものとして、その事実を隠したり知らないことをしなくて済むようなポジションを確保することに努めるのではなく、無知な分野にワクワクし、知る娯楽を謳歌する人生を送ると、生涯現役は実現可能なのかもしれませんね。

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