人間にとっての死とは

今回は人間にとっての死とはという話をさせていただきます。

よく人は二度死ぬという言説が言われることをご存じでしょうか。一度目が肉体の死、二度目が認知の死です。
肉体の死とは単純に自身が亡くなることを指します。認知の死とは私がいたことを知っている人がいなくなることを指します。人は忘れられる事で2度死ぬという事ですね。

認知の死というものに繋がる亡くなった自身の変化は何かを考えてみたのですが、これはおそらく自身の社会における役割が喪失することによって忘れられるのではないかと思います。例えば志村けんさんの死はおそらくテレビで見ていた人々やお世話になった関係者の方が全員なくなるまでは少なくとも忘れられることがないかと思いますが、これはそれほどまでにお笑いという分野における役割が大きく、今でもその役割にはポッカリ穴が空いたままなのではないかという事です。

身の回りの話でいえば、絶縁していない限り親の死を子が忘れる事はないと思いますが、これも親という役割の大きさが、誰かにとってかわられることが殆どないからだといえそうです。

このことを踏まえると、実は認知の死というものは肉体の死よりも先に来ることがあるのではという考えが浮かびます。例えば会社を辞める時、その会社において自身の役割というものを誰の目にもわかる形で示せていた人間というのは、やめてからも忘れられることがなく、やめてからも関係が続くかもしれませんが、もし代替可能な存在だと思われていた場合は社員の記憶に残ることもなく、会社という範囲では認知の死が発生するのではないでしょうか。

この視点で考えると、自身がしてきた数多の出会いの中で、一体どれほどの認知の死を迎えているかという事ですよね。人検索の時代においてこれは、検索結果にも当てはまらないという状況だといえます。

今回は以上となります。

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