エスカレーターからみる日本人の正義の順位

エスカレーターからみる日本人の正義の順位という話をさせていただきます。

前回は日本人の多くは約束を守ることを犯罪をおかしているか以上に重視するものが一定数いるという話をしましたが、今回はエスカレーターの例から話します。

ここ5年くらいでしょうか、誰に言われることもなく始まったエスカレーターの左側は立ち止まって右側が歩くという動きですが、あれは危険だという声が上がりました。危険だという事を周知させるために、立ち止まって2列に並んでご利用くださいと地下鉄構内 などでも明文化され、アナウンスがされるようになりましたね。

ただ実態としてはまだかつての左止まり右歩きの動きが残っているかと思います。
私は大きな世界において定められている法律やルール以上に優先されているルールとは大別して、学校や会社、あるいはあるシチュエーションにおいてなど、その環境でのみ正しいと感じる選択というものを「空間正義」と呼んでいるのですが、エスカレーターの例はまさしくこの現象かと思います。

KYという単語が2006年に流行しましたが、私はあの言葉は発明だと思っております。
エスカレーターのルールがあれだけ周知されている以上知らないからやっている層はまず間違いなくいないと思います。では左止まり右歩きをしている人達は、全員が悪意を持って行っているのでしょうか。私はそうは思いません。

エスカレーターのあの場面における空気を読めないとは立ち止まるルールに従えない事ではなく、周りの行動となっている左止まり右歩きに従わない行為になるという事です。ルール上正しいかどうかやそれで怒る人がいるかどうかにかかわらず、右側で立ち止まる人間の先頭になることが怖いという状態です。
先頭が怖いという事は、2番手は怖くないという事です。先頭が止まった場合は今度はその流れに従わないことが空気を読めないことを意味するという逆転が発生します。

まとめると、日本人は大局のルールよりも空間のルールを重くとらえ従うという側面も持っているという事です。
学校の空気を読んでいじめや虐待の情報を公にしない行為、会社の空気を読んで食品偽装や粉飾決済を隠ぺいする、果てには負けるとわかっている戦争を現場の空気を読んで続けてしまうなど、損得や道徳、ルールで考えれば絶対におかしい判断をしてしまう行為は、悪意を持ってなされたのではなく、優先順位として空間正義が大局の正義を上回ったために正義でもってその選択をしたのです。

あまり気分のいい話ではないですし私自身認めたくはない部分ではありますが、原因をその人が悪だったからとみなすという楽な道を辿ると何も説明がつかず好転させるための足掛かりをつかむことはできないので、まずは弱さを認めてこの国民性を前提としたシステムで物事の改善を図るしかないのだと思います。

本日は以上となります。

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