今回は死後の自分をコンテンツにできるかという話をさせていただきます。これは全く答えの出ていない話なのですが、考えとしては完成する前に伝えた方が面白いのではないかと思い話させていただきます。
少し前にヤマハが深層学習技術によって美空ひばりのボーカロイドを作ったことが、良くも悪くも話題になりました。
https://www.yamaha.com/ja/about/ai/vocaloid_ai/
賛否両論ではありますが、今の時点で倫理的な話をしても仕方ないと私は思っています。結局その行為に対する価値の答え合わせは、美空ひばりさんの肉声を聞いた事のある世代がすべて亡くなってから、その後の世代が美空ひばりボーカロイドを聞いてどう感じるかでしかできないからです。
他者の話では客観的な話ができないので自分事として考えてみましょうか。ウォルトディズニーはディズニーランドをはじめとした作品によって、死後も生き続ける存在となりました。ただ、存在として生き続けているわけではなく、あくまでも人の記憶に残り続けるという事ですよね。
ここで私が思うのが、私自身の全盛期の姿をバーチャルのリアルアバターとして残して、その存在を自由に誰でも使えるものにした場合、それが使われることによって、死後も存在することはできないだろうかという事です。周りが倫理的に云々で止めるというケースは除いたとして、そもそもその利用方法に需要があるのかどうかというのが問題ですね。
需要で考える場合顧客視点に立つ必要があるので、例えば芸能人のアバターがあったら、発信ツールとして利用したいかどうかという部分が大事になってきますね。今現在のバーチャルアバターの需要の潮流としては、全く別の人格として持つというのが多いので、まだ使われなさそうな気はしてますが、まだまだ発展途上な部分なので、今後浸透していった際に新たな需要として、リアルの保存はされるかもしれません。
この流れが本流になるようなら、自身の全盛期の保存が現実の選択肢になるかもしれません。人間は肉体の死の後に忘れられた時にもう一度死ぬとは言いますが、この忘れられる恐怖というものを解消したいひとはいると思いますので、もしかしたら誰かがもう始めているかもしれませんね。
今回は以上となります。
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