今回は以上扱いは将来の自縄自縛を生むという話をさせていただきます。
私が良く思う事として、社会人になってからの人間は半永久的に「成果だそうゲーム」というレールに乗せられ、走らされ続けるものだなと感じております。
その中で一番問題だと思っている思っている事としては、日本だと何かしら一度でも失敗をすると、全員で叩き、次のチャンスを与えることなく再起不能にしてしまうという面があると思います。
例えば政治家の政治力に関係のない部分での素行や失言や、芸能人の薬物所持、会社員としての挑戦に挑んだ際の失敗、学生の入学失敗、就活失敗、早期の退職など、所謂道を踏み外すといわれるようなことですね。失敗は誰にでもあるとはよく言いますが、それを許すかと言えば現実としては世間はそうでもないなと思います。
少なくとも日本にある傾向として、道を踏み外した人を異常扱いするというものを私は感じております。ただこう言う臭い物に蓋をするような生き方は人間としての危機感が身につかないという事態を招きます。
異常扱いをするという事は道を踏み外した人を私たちとは別の生き物だとみなすことを意味します。物事の原因を人に起因するものだとしてヒューマンエラー扱いするという事ですね。果たして本当に政治家の失敗は他の人ならしないものなのでしょうか。薬物乱用は自分には無縁の話なのでしょうか。失敗は自分の身には起きない事なのでしょうか。
今日本に必要な価値観とは、失敗を現象としてとらえ、システムエラーとして対処する事だと私は思います。誰かを異常者扱いせず、誰かの失敗に対しては明日は我が身という気持ちで危機感を持ち、尚且つ取り返しのつく失敗に対して寛容な社会を作ることで、道を踏み外した人を批判することによる自縄自縛で行動を起こせない人が量産されるような社会を改善できるのではないでしょうか。
今回は以上となります。
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